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ついの住処

家探しうたかた記

中村和恵

第2回雨戸のある家

 大学受験の頃、履歴書を書かされることが何度かあり、数字に弱いわたしが、ねえ何年にどうしたの、こうしたの、といちいちうるさく訊くのに閉口した父親が、家族年表をこしらえた。その最初にはこう書いてある。

19654月 東大大学院に入学 5月 結婚 小金井市緑町○--○に住む」

 わたしが生まれたのはその翌年である。父親は修士2年生。小金井の家は当然、借家である。一軒家にもかかわらず激安だったのだ。知り合いの画家、原田映爾さんの紹介で、近辺は当時画家や詩人など、売れない芸術家たちの棲息地帯だったらしい。

 親のことは書くなといわれているのだが、わたしについて書くとやむをえず書かざるをえないことが出てくる。よってこれはわたし側からの一面的な見解であると断った上で申し上げるが、わたしの親は度を越した世間知らずである。よそさまにいっても信じてもらえないことが多く、説明をあきらめてしまうぐらいの世間知らずである。まずこの年表の一行目からしておかしい。なんで院生になって翌月に結婚するのだ、できちゃった婚でもないのに。わたしが担当教員であったら、こう忠告したはずだ。やめなさい。まだ早い。子どもでもできたらどうやって生活するつもりなの。結婚というのは経済的な活動でもあるのよ。

 人生の経済的側面をまったく度外視していたとみえるわたしの両親は、悦子(母親)の妊娠により、さらに奇妙な行動に出た。せっかく決まりかけていた悦子の就職先(悦子には父親がもっていない中高の教員免許があり教歴もあった)の面接に、父親が同行し、この人は妊娠したので働けません、と断ったというのだ。その上、悦子は父親の実家にいって子どもを産むという決断をした。実家ということばはメガホンで抗議したいほど嫌いだが(なんで親の家が「実」家なんだ、親が老人ホームにでも引っ越したらそこが実家になるというのか、実の家、まさに自分の本当の家ということなら、いまわたしが住むこの家こそが実家だ)、この場合もっともよく実態を表すのでやむをえずこの語を用いる。その間の事情には立ち入らないが、なにしろ函館生まれ函館育ち北海道4代目の悦子にとって、新潟三条での数か月の滞在は尋常ならざる体験であったようだ。「内地」の家、それも刃物職人たちが働く工場を経営し、自ら発明も行うという変わり者のお義父さんが一代で築いた、かなりでかい家で、早朝から行われる雨戸の開けたてや雑巾がけといった家事労働全般、ぬるいお味噌汁、なんでもかんでもぶちまけることはよしとしない辛抱づよく抑制された言動(北海道人のぶちまけぶりにはわたしでさえ時々びっくりする)等、悦子はまったくの異文化にぶつかった、とおもわれる。

 雨戸、というものが北海道の家にはない。森茉莉の随筆に、アパートの雨戸の存在に長いこと気づかず、気がついたときにはすでに蜘蛛やなにかが棲みついていそうで怖くてさわれないでいるという記述があって、ふーむ、雨戸なんてものは無用の長物、と見たこともないのに決めつけていた。ところがこれが最近の住宅にさえ、内地の家には備わっているのだということを、東京暮らしを始めてわたしは知った。なんと。台風のときなどに閉める、という。新潟の家のように毎朝開け夜閉めることもある、という。

 窓のありかたが違うということは、光のありかた、空気のありかた、それらとのつきあいかたが、違うということだ。北国では日光は、照っているかぎりできるだけとり入れるべきものだが、高温多湿の日本列島中央から南部では、むしろ夏を意識し陽を遮ってこそよい住居となる。家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。徒然草のこれは、京都の話。札幌では正反対だ。ガラス窓が二重になっているのが北海道では窓の常である。間の空気が冷気を直接部屋に入れない工夫になっている。ロシアや北欧の建物では玄関にほぼかならずホールがあり、そこの空気と内扉で外気の冷たさを遮断する。

 かくしてわたしは雨戸のある新潟・三条市の家でおぎゃあと生まれ、しばらくしてやはり雨戸があったとおもわれる東京・小金井の下宿に戻る親に連れられていって、二歳になるまでそこで過ごし、のち飛行機に乗って札幌へ移った。雨戸はしたがって、わたしの子ども時代の記憶にはない。

 三条という地名は長年わたしにつきまとった。煩わしかった。知らない土地、異文化としかおもえない場所を、生地として指さされるのは、不愉快ですらあった。生まれてのち三条に行った記憶は、二度しかない。小学生のとき夏休みに一度、祖父が亡くなる直前に一度。夏休みの暑い日々、畳と黒光りする柱の家は、すっきりとして快適だった。白くまぶしい表通りの日差しと、黒く沈んだ玄関のコントラストを、廊下からぼんやり見ていたわたしの前を、鮮やかな赤が横切った。金魚。袋に金魚を入れた人だった、ように記憶している。北海道の乾いた空気とは違う、本州の水の気配の濃い空気なら、金魚が泳ぎ出ていってしまってもおかしくはない、そんな気がした。それ以来わたしにとって縁の薄い生家は、光と影と金魚の赤の印象になった。

 数年前、白老のアイヌ民族博物館のミュージアム・ショップで、メノコマキリと呼ばれる女性用のナイフが売られているのを見た。さすがに博物館所蔵品ほどではないが、手のこんだ彫刻が施されていて、とても心惹かれるものだった。鞘を抜くと、あきらかに手で研がれたとわかる切れ味のよさそうな刃だ。木製の柄と鞘は地元の工芸家がつくっているのだが、刃は新潟三条の職人のものだ、という。なぜかその地名が嬉しく、わたしはそのマキリを買った。このように、とおもったのかもしれない。このように、本州の人とアイヌモシリ(アイヌの静かな大地)の人が、一緒に為せることがあるようにと。

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 さて、自分の住んだ家のことだけじゃなあ、と建築の本やら戦後家族史の本やらを積んで眺めていた、ちょうどその頃、「女子103人でおうちのこと考えてみよう会議」というのが開催されると知り、行ってまいりました(2015916日、港区南青山・スパイラルホール)。主催は三井不動産レジデンシャル・モチイエ女子project、特別協力 TBSラジオ。モチイエ女子というウェブサイト内のコンテンツ「女子イエナカ研究所」のスピンオフとして企画された集まりとのことで、「おうちについてのリアルタイムアンケートを実施。普段は知ることのできない、女子のリアルなおうち事情をのぞいちゃいましょう!」という前半と、後半のジェーン・スーさんと雨宮まみさんによるトークショーの、二部構成。

 それなりに、おもしろかった。とくにジェーン・スーさんの、これからは北海道で鹿とって自給自足、という冗談? は、実際わたしも考えている老後プラン(いや実際鹿射ちが知り合いにいるのよ。この話はまたいつか)とぴったり重なっていて、みんな考えてること同じねー(いやそうかな)と共感しました。

 でも前半のアンケートがね、なんだか解せなかった。ブラジャーは手洗いします? 洗濯機で回します? コンビニ弁当つかってます? 食べるときちゃんとお皿に盛ってます? ってなんですか。

「丁寧な暮らしをしているかどうか」を知る目的の質問だという。なんだかある種の生活を、モチイエ女子(潜在的候補含む)にあらかじめ想定しているように思えてならないんだけど。ブラを手洗いする間もなく、コンビニ弁当を食べ散らす、仕事中心でがさつな暮らしの独居女性さん、さあ、そんな暮らしから抜け出したいからここへいらしたんですね、三口コンロでポトフとかつくりたいでしょう、ってか。でも、ライフスタイルって、人の数だけあるでしょう。時と場合も、無数にある。ベストな選択は、毎回違う。丁寧さや生活の質って、コンビニ弁当とブラ洗いで計れないとおもうよ。

 そんなに単純な話じゃない。

 モチイエ女子というウェブサイトがあるのを知ったのは、そこで紹介されている池辺葵さんという漫画家の作品、『プリンセスメゾン』(ビッグコミックス)が気になっていたからだ。

 沼越さん、愛称沼ちゃんというお下げ髪のちいさな、子どものような外見の女性が、マンションのモデルルームを見学する。見学しつづける。それが彼女の趣味らしい。いや彼女は本気なのだ。マンションを、買うつもりなのだ。高卒で年収250万の居酒屋店員、結婚歴なし予定もなし。でも貯金はしている。こつこつと。すごいね、大きな夢に迷わず向かっていって、といわれて彼女はこう答える。「大きい夢なんかじゃありません。自分次第で手の届く目標です。家を買うのに......自分以外の誰の心もいらないんですから......」。

 この漫画が、かなり好評を博しているという。渡邊十絲子さんはこう評している。「沼ちゃんには恋人も遊び友達もいないが、孤独ではない。それは彼女がとても強い心の持ち主であり、強いからこそ誰にでもふわりと心を開くことができるからだ。沼ちゃんにマンションを紹介している不動産会社の人たちが、やがて彼女と個人的に親しくなっていくのは、心ひかれるファンタジーである」(『婦人公論』2015922日号)。なるほどな。わたしもそう思う。これはファンタジーだ。このファンタジーに心惹かれる人、いや「女子」がかなり多いらしい、ということがしかし、わたしには、いまひとつピンとこない。沼ちゃんにある種の芯のつよさが備わっていて、そこが魅力だということはわかるのだけれど。そう友人にいったら、こういわれた。「それはね、家というのがいかに家族で、家族というものがいかに重いか、ってことの裏返しなんだとおもうよ。家を買うのに自分の心しかいらない、そういい切れる沼ちゃんに、みんなはっとして、共感して、憧れる。沼ちゃんの幸運を願う。不動産屋さえも商売ぬきで沼ちゃんを応援してくれることを夢みる」。ああ、そうなのか。

 親との確執は、そのうち悦子が天に召されたら(悦子よスキップするエクリチュールになれとわたしは祈る)『婦人公論』の読者欄に毎週投稿したいぐらいある、いや正確にいうと、あった。だが、「家」との確執はわたしにはない。ずっとつづいてきた大事な家族の血と絆に敬意をはらい恩を感じ子を産み育て墓を守って脈々と家系を維持しなくては、という伝統的価値観が、わたしには出発地点で欠けている。そういう親に育ってないからね。いきあたりばったり出会って好きになって出たとこ勝負のありあわせで始めた、そういう家の子どもだから。

 うん、沼ちゃん、わたしもそう思う。家を買うのに他人の心なんていらないね。さらにいえば、じつは自分の心もそんなにたくさんはいらないかもね。たんなる箱だから。貯金はいるけどね。あるいは借金するための保証元(人でも会社でもいいけど)がね。

 そういいながら、なんとなく、わたしは沼ちゃんの隣に座りたいともおもうのだ。ねえ沼ちゃん、たんなる箱なのに、どうしてこれほど家というものはさまざまに、ひとの心を揺り動かすのだろうね。

 

今月の大家さん

長年、小金井の借家の大家さんは「高田のおばさん」という人だと思っていた。高田のおばさんは彫刻家・高田博厚の妹で、父親の大学時代の友達のお母さんだった。しょっちゅうその家に遊びにいったという話を勘違いしたらしい。小金井の家には庭があって、そこで悦子が父親の頭をバリカンで刈っていたら、小堀桂一郎先生がいらして、仰天なさったという話も聞いた。わたしの髪も長年悦子が切っていた。切られる度にわたしは泣き、大きくなったら給料とりになってちゃんとした散髪屋にいくのだと誓った。