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ついの住処

家探しうたかた記

中村和恵

第5回お城住まい

 つましい分譲住宅から一転して、今回はお金持ちのお城についてであります。それもロマノフ王朝8代目女帝エカチェリーナ2世(在位17621796年)のお城。まあ豪華。

 14歳のとき、父親の仕事の都合で一家でモスクワに住んだ。わずか10カ月の滞在だったのだが、初めての海外体験はなかなか強烈な印象を残した。立派な庭や門構えのゆかしい邸宅を見ると、ぜひ猫になって中を拝見したいと熱望するほど、お金持ちの家に対するわたしの好奇心がつよくなったのは、エカチェリーナさまのせいだとおもう、多分。

 ロシアの旧都サンクトペテルブルク、ソ連時代は革命の指導者にちなんでレニングラードといったのだが、その中央を流れるネヴァ川の左岸に、ど・どーんとエルミタージュ美術館は鎮座している。Hermitage とはフランス語で(ロシア貴族はフランス語で喋っていたそうだ、召使にわからないように)、隠遁、隠棲、あるいは隠者の住まいのことなのだが、建築面積233,345㎡、展示場面積だけでも66,8422013年時点で310万点以上のコレクションを誇る絢爛豪華なエルミタージュの威容ほど、鴨長明的な隠者の精神から、ほど遠いものはない。これはどういうことかというと、本来のエルミタージュはエカチェリーナが親しい者たちとの集まりの場所を求めてつくらせたひとつの建物(小エルミタージュ)の名称で、現在の美術館はそれ以前にできた冬宮、増築された収蔵館、劇場、19世紀建造の美術館といった建物群からなる複合体なのだ(くわしくは『エルミタージュ――館内を巡る旅』Alfa-Colour出版、2004などをご参照ください)。しかし本来の建物だけだってもう、方丈ハウスとは正反対。外見もそうだがまあひとつ、中にお入りになってとくとご覧になってください。なにしろ総建坪7万超え(うん、坪換算すると不動産、って感じがするかとおもいまして。いや、しませんね、でかすぎますね)、1819世紀ヨーロッパの著名建築家によるフルオーダー設計、そしてなにしろ内装がすごい。全室最高級のアンティーク家具つき、暖炉にシャンデリア完備、大理石や総天然寄木細工の床、花崗岩や孔雀石、金箔や貴石を用いた階段や装飾、ロシアやヨーロッパの名匠の絵画彫刻に、世界各地から集めた珍品満載の王室コレクション、という世界で唯一無二の物件でございます。いえ、売り物ではございません。あくまでご参考に。

 ルーヴル美術館も元はお城だが、住まいとしてのお城の感じは、エルミタージュのほうがつよく残っているようにおもう。といっても後者を最近訪れたわけではないので、この比較にはひどい時差がともなっている、ということは書き添えなくてはならないのだけれど。なにしろ、王侯貴族が収蔵品を自分の家に集めまくり、お友達に見せたり、足元に火がついたら懐に入れて逃げたりするために飾っておいたのが、革命やら近代化やらで王さまの首がふっとんで、庶民もどれどれと拝見できるようになった、それが美術館ってものなんだということは、この二つを見ればとっくり納得がいく。さらに蒐集という行為が、ごく最近までしばしば略奪と同義語か、紙一重であったということも、理解できる。ケ・ブランリ博物館と大英博物館もあわせてご覧になれば、その略奪が、植民地支配という侵略旅行のおみやげ集めであったことも、一目瞭然。

 ここで美術館談義をするのも一興とはおもうが、長い話を短くはしょれば、とにかく巨大なヨーロッパの歴史画、宗教画、人物画というものこそ最高に偉大な芸術品なのである、という見解に、わたしは当時そろそろ、疑念を抱き始めていた。なにしろでかくて、重くて、くどすぎる。すっぽんぽんが、多すぎる。やたらと生々しく肉々しく、人を吊るしたり刺したりと暴力的なものが多いのも、いかがなものか。抽象画のほうが好き。そしてアフリカとか中近東とか、教科書に載ってない、聞いたこともない国のもののほうが、見てみたい。いや、あのころはまだ泰西の名画というものに、いまよりは敬意を抱いていた。それでもわたしがエルミタージュで一番見たかったのは、やっぱり非西洋の古代文化、とくにミイラだったのだ。おかしなもんです。

 果てしなくつづく円柱の回廊とギリシア彫刻の列を急ぎ足で通り抜け、フランスの名画とヨーロッパ各地の宗教画とロシアの将軍たちの肖像画が並ぶギャラリーを走り抜け、ロココ様式やバロック様式のきんきんきらきらした円天井の下をいくつもいくつもくぐり、古代の土器やミイラや黄金細工、ペルシアやトルキスタンの不思議な神像を目指す。疲れてベンチで休んでいる母(悦子)を後目に、わたしはエルミタージュを走りまわった。忙しくて目が回りそうだった。だってですね、収蔵品だけじゃないんですよ、見るものは。先に申し上げた通り、内装がすごいんですよ。

 大広間だけではない。「居住空間として使われた区画でも一連の公用の大部屋を過ぎると、より小ぢんまりとした私室が始まる。黄金の客間の次の部屋はそんなくつろいだ雰囲気の食堂で、ここでは柔らかな薄緑色の壁に囲まれて家族だけで食事を楽しんだ」(前掲書、43頁)。そうそう、そういうかわいい小部屋のそれぞれに、異なった内装が施され、いくつかの絵が飾られて、どこまでも、どこまでもつづいていくのです。嵌め込み細工の書きもの机、マントルピース、金細工の鳩時計、漆喰のレリーフ、ダマスク織の布張りの壁、豪華な縁取りの鏡、猫足の椅子、階段の手すり、窓枠のアール。ああもうキリがない。エカチェリーナ、やりすぎ!

 井上靖の小説『おろしや国酔夢譚』1968は、江戸時代、嵐で北へ北へと流された船に乗ってロシア帝国領に漂着し、カムチャツカ半島からシベリアを西へ向かうことになった大黒屋光太夫ら17人の日本人が、あるいは命を落とし、あるいはロシアに留まることを余儀なくされ、最後にわずか二人となって日本へ帰り着くまでを描いた歴史小説だが、最後のほうに、とうとう光太夫がエカチェリーナ2世に謁見を許されて、宮殿へいく場面がある。その建物がすごくて彼は目も眩むおもいがした......と書いてあったのを、うろ覚えに覚えていて、これはのちにエルミタージュ美術館の一部になった冬宮のことだと長年おもっていたのだが、確認してみると、女帝が夏を過ごす夏宮のほうだと書いてある。なんだ。階段も木でできているとある。じゃあそれほどびっくりってわけじゃ、ないじゃない(とおもったのはツァールスコエ・セローのエカチェリーナ宮殿を知らないわたしの無知によるもので、こちらにも有名な「琥珀の間」など超豪華なお部屋が目白押しなのである)光太夫はのちに冬宮のほうにも行ったようなのだが、そちらはあまり詳しい描写がない。まあいいや。なにしろ光太夫が、普請道楽の女帝が建てたロシアのお城に度肝を抜かれたことは間違いない。わたしもびっくりしたよ、光太夫。わくわくした。ちょっと、住んでみたいとおもった。うん。

 このレモン色の壁の小部屋に、ベッドを置いて(鏡と机と椅子はいまあるのでいいよ)、スーツケースをもってきて、このちいさな暖炉に火を焚いて、ちょっとの間住んでみたい。だってこんなにお部屋がいっぱいあるんだもの。つぎからつぎに、出現する。ここに住んだら、ちらかし放題、やり放題だわ、とわたしはそのときひらめいた(ひらめいたって、住めるわけじゃないですが)。

 レモン色の部屋で午前のお仕事をして、午後には空色の部屋に移る。たくさんの絵をゆっくり見て、夕ご飯はラズベリーの居間、寝るときはラピスラズリの寝室。次の日は薔薇色の小部屋でお手紙書き。順番にちらかしていって、あとはほったらかしで進んでいっても、一年なんかじゃ全部の部屋を使い切れないに違いない。

 でも、それじゃあお掃除は誰がするの。 

 ビンボー育ちの上に日本人であるわたしは、小間使いに向かって「さっさとお掃除なさい!」と怒鳴っている自分を、想像することはできても、実際にやるとなると、なんだか面倒くさくてやれそうにないな、という気になってしまう。自分でやったほうが早い。この、日本人にはあたりまえの「自分でお掃除」、世界各地ではちっとも、あたりまえじゃないらしい。すくなくとも、掃除人を週に一日は差し向けるという約束(契約書に書いてある)を守れない言い訳を、えんえんとつづけたロンドンのインド人大家さん・ヴィヴィちゃんには、まったく変な考えだとおもわれたようだった。イギリスやインドのように階級社会の伝統文化がいまも深く影響しているところとは違い、日本人はどんなにご身分が高くても自分でお掃除をするのを美徳と考えるのだ、と講釈したが、こいつはバカか低カーストだ、という顔しかしてくれなかった。そういえば映画『ガンジー』(1982)で、ガンジーの奥さんがほかならぬ自分にトイレ掃除を命じる夫に、えらく衝撃を受けていたな、とおもいだした。お掃除は日本では哲学なのである、というと、ますますヴィヴィちゃんはバカにした顔になった。幸田文さんによれば幸田露伴先生は、ひなた水をこしらえて先の曲がった箒をどうこうしたり、書き損じの紙ではたきを自作なさっておられた、なにしろもっともむずかしいのは水の扱いであって......といったことにまで言及しようとする自分を抑えて、掃除なら自分でできるわ、ほらここにMUJIで買ったワイパーもあるからご心配なく、とうるさいヴィヴィちゃんを追い払ったのだった。

 ちらかし放題にちらかした結果、ビアトリクス・ポターさんが描くのねずみおばさんみたいにせっせとお掃除をするのもご本人、ということなら、大きなお家なんていいことないわ。なんとか暮らせるぐらいのサイズの家がベスト。というわけで、もっと広いお家に住みたい! とおもうたびに、エルミタージュをお掃除する自分を思い描き、いやいや結構でございますと、わたしは尻尾を巻くのです。

トンガ宮殿.JPG
同じ宮殿でももうちょっとつつましくてかわいいトンガ・ヌクアロファの宮殿の門
今月の大家さん

実際エルミタージュに住んでおられる人はいるのか。人はいざ知らず、猫ならいる。大家さんではないが、エルミタージュをまさに管理しておられる。普段は地下にお暮らしで、職務は鼠とり。その由緒は正しく、エカチェリーナ2世の時代からすでにこの職に従事されていたという。かつては自由に展示場を歩いておられたとか。何十匹もいらして、中には絵を描く芸術家もいる。一時は廃止になっていたそうだが、猫がいないとあの広い美術館は実際立ち行かないのだというから、おもしろい。