第13回  永遠のオルタナティブ

 モリサワのゴシック体〈中ゴシックBBB〉は、1960年代に写植文字盤として発売された。
 現在は国内でデジタルフォントのトップシェアをほこるモリサワだが、もともとは写研と同様の写植メーカーである。
 独自の組版システムにこだわって、DTPに参入しなかった写研とは対照的に、モリサワは自社書体のデジタル化を推進した。1989年、他に先駆けMacintosh用フォントとして公開された2書体のうちのひとつが〈中ゴシックBBB〉である。
 デジタルフォントのなかでも特に歴史の長い、オーソドックスな書体。
 でも高く評価されているとは思えない。DTPの発展に寄与した大きな功績のわりに、なぜか語られることの少ない、陰日向の存在なのである。

1_リラックス_2001_7.jpg
「リラックス」(マガジンハウス、2001年7月号)「小西康陽、フリー・ソウル 2001」

2_リラックス_2001_7_t.jpg
「リラックス」(マガジンハウス、2001年7月号)〈中ゴシックBBB〉

 私自身は、この書体を見ると落ち着くし、読みやすいと思う。
 そんな親近感を抱くのは、「リラックス」と青春を過ごした世代だからかもしれない。
 大学生のころ、就職活動で某出版社の入社試験を受けたとき、好きな雑誌、普段読んでいる雑誌をたずねるアンケートに「リラックス」と書いた。そう書けばかっこいい気がしたし、情報感度の高い人間だと思われたかったのだ。すると面接官が苦笑いをして、今年の学生の回答はほとんど「リラックス」だった、と教えられたのを覚えている。
 それくらい、垢抜けていて、自由で、「こんな雑誌を作ってみたい」と思われている雑誌だった。
 サブカルチャーとはまたちがう、マニアックでコアな視点とメジャー感覚。そのバランスが絶妙で、Supremeやイームズ、ドラえもん、フレッシュネスバーガー、波をテーマにした特集など、強烈な印象を受けた号がたくさんある。「リラックス」がなければ、サイラスも、ビースティ・ボーイズも、UNDER COVERも知らなかった。
 でも「リラックス」といえば、まず思いだすのが、まさに〈中ゴシックBBB〉でかかれた誌面の雰囲気だ。
 この書体で記事を読むのは、フリスクをぽりぽりとかじっているときの感覚に似ている。ポケットに入れて持ち歩くタブレットのような手軽さで、気張っていなくて、刺激がつよいわけでもないけれど、何となく頭が冴えるような爽快感がある。

3_リラックス_創刊号表紙_t.jpg
「リラックス」(マガジンハウス、1996年5月号)創刊号表紙

4_リラックス_創刊号_本文_t.jpg
「リラックス」(マガジンハウス、1996年5月号)
〈かな民友ゴシック〉と〈石井中ゴシック〉の組み合わせ

 しかし1996年の創刊当時は、ずいぶん趣きのちがう誌面だった。
 巻頭の特集が「波動」というのも90年代的な切り口ですごいが、取り上げられているモノやクルマがいかにも男性向けという感じ。私が知っている「リラックス」は、もっとユニセックスなイメージだ。
 主な本文書体は写研の〈石井中ゴシック〉で、右開き縦組みだった。系譜が異なる〈石井中ゴシック〉と〈かな民友ゴシック〉を組み合わせ、改行ごとに文字サイズを変えていくという細やかさ。多くの書体を自由に使う文字の扱い方に慣れているようすが、写植文化の成熟期を感じさせる。
 モリサワの〈中ゴシックBBB〉は、まだ影も形もない。

5_リラックス_1998_9_表紙_t.jpg
「リラックス」(マガジンハウス、1998年9月号)表紙

6_リラックス_1998_9_本文_t.jpg
「リラックス」(マガジンハウス、1998年9月号)〈中ゴシックBBB〉

 写研一辺倒だった誌面の片隅にモリサワ系の書体があらわれ、〈石井中ゴシック〉や〈かな民友ゴシック〉、〈石井太ゴシック〉に混じって〈中ゴシックBBB〉がつかわれだすのは、1998年9月号である。
 とはいっても、発表からすでに10年経っていたデジタルフォントではない。当然のように写植をばりばりつかっていて、いわば写研書体とモリサワ書体の共存期といえる。
 文字づかいが大きく様変わりするのは、1999年3月号で一度目の休刊をむかえたあと、出版社内で署名運動が起こり、奇跡的な復刊をはたした2000年2月号だ。

7_リラックス_2000年2月号_表紙.jpg
「リラックス」(マガジンハウス、2000年2月号)表紙

8_リラックス_2000年2月号_表紙コピー.jpg
「リラックス」(マガジンハウス、2000年2月号)表紙コピー〈見出ゴMB31〉

 編集長・岡本仁、アートディレクター・小野英作のもとでリニューアルされた「リラックス」は、時代を牽引するカルチャー誌として多くの読者から支持された。
 当時のムーブメントについて、岡本仁は「時代の自由な感覚が90年代後半にかけて成熟して、2000年にそれを誌面にできたっていうのはラッキーでしたね。」と雑誌のインタビューで語っている(INFASパブリケーションズ「WWD JAPAN」2014年 夏号)。
 この号から写研書体は姿を消し、完全に〈中ゴシックBBB〉が主体となった。
 書体が変わっただけでなく、左開きの横組みに変わった。確かに縦組みより横組みのほうが断然似合う書体である。

9_リラックス_2000年2月号_本文_t.jpg
「リラックス」(マガジンハウス、2000年2月号)〈見出ゴMB31〉

 さらに、以前は見出しと本文とで書体の違いを強調するスタイルだったのが、〈中ゴシックBBB〉をわずかに太くした同じモリサワの〈見出ゴMB31〉との組み合わせに変わった。
 比較すると、書体を選ぶ行為をやめたように見えるフラットなデザインが新鮮だ。
 しかし、それは「選んでいない」のではなく、むしろ大胆な選択といっていいのではないか。
 写研とモリサワがついに逆転する例があらわれる一方で、デジタルフォントの数が充実するには時間がかかっていた、日本語書体の端境期。
 表紙の右上に入る一行のキャッチコピーを見ると、ああ、まさに「リラックス」だなあと思う。それは確かに時代の空気を映す雑誌だった。

10_リラックス_2005_2_本文_t.jpg
「リラックス」(マガジンハウス、2005年2月号)〈ゴシック(標準がな)〉

11_リラックス_2005_10_t.jpg
「リラックス」(マガジンハウス、2005年10月号)〈ゴシック新がな〉

 「リラックス」の隆盛を象徴する中ゴ時代が突然終わりをつげたのは、2004年11月号のことだった。
 本文書体は〈ゴシック(標準がな)〉、〈ゴシック新がな〉に変わった。どちらもリョービというメーカーのフォントだが、Windowsユーザーにはなじみぶかい〈MSゴシック〉に似ていて、いかにもデジタルの文字という感じ。さらに2006年1月号からは縦組みの右開きに戻り、ゴシック体で統一されていた本文に明朝体の記事が混じるようになる。
 それから間もなく、同年の9月号をもって休刊した。
 不思議なものだ。
 書体によって雑誌の売れ行きが変わるなんて、誰も信じていないのに、休刊する前の雑誌は書体から変わる。私には、文字の変質が不協和音のように感じられる。

 「リラックス」は、2016年に1号限りの復刊をはたした。
 アートディレクターは、再び小野英作。
 このときおなじみの表紙コピーをかざったのは〈こぶりなゴシック〉、そして本文書体に選ばれたのは〈游ゴシック〉(ともに字游工房)だった。
 10年ぶりの「リラックス」は、なぜ、この書体と出会うことになったのか?
 次回は、その10年について考えてみたいと思います。

12_リラックス_2016復刊号表紙_t.jpg
「2016年のリラックス。(マガジンハウスムック)」(マガジンハウス、2016年)表紙

13_リラックス_2016復刊号表紙コピー.jpg
「2016年のリラックス。 (マガジンハウスムック)」(マガジンハウス、2016年)
表紙コピー〈こぶりなゴシック〉

14_リラックス_2016復刊号_t.jpg
「2016年のリラックス。(マガジンハウスムック)」(マガジンハウス、2016年)〈游ゴシック〉

Share

Profile

正木香子(まさき・きょうこ)

文筆家。1981年、福岡県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。幼いころから活字や写植の書体に魅せられ、〈滋味豊かな書体〉をテーマに各紙誌にエッセイを発表している。 著書に『文字の食卓』『文字と楽園──精興社書体であじわう現代文学』(以上、本の雑誌社)、『本を読む人のための書体入門』(星海社新書)。type.centerでコラム「その字にさせてよ」連載中。