第15回  女王の綴りかた

 椎名林檎の代表曲「歌舞伎町の女王」は、幼いころの夏の記憶が、蟬の声でよみがえる場面からはじまる。
 それは普通の少女らしい、どこにでもある思い出ではない。
 歓楽街の「女王様」として有名だった母親の姿。そこでは「生き写しのようなあたし」に「誰しもが手を伸べて」、子どもながらに夜の世界へと惹かれていく。
 ところが、「十五に成ったあたし」を置いて、女王は「毎週金曜日に来ていた男」と暮らすために消えてしまう。
 残された娘は、ひとりで生きていくことを決意する。売るものは「女に成った」自分の体だけ――それが無常の価値に過ぎないことを悟りながら。

   JR新宿駅の東口を出たら
   其処はあたしの庭 大遊戯場歌舞伎町

   今夜からは此の町で娘のあたしが女王

 もちろん本人の実話ではない。
 上京して間もなく、上野のレコード屋で働いているとき風俗にスカウトされ、「君なら女王様になれる」と言われた体験から着想を得て作られた歌だという。

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椎名林檎「歌舞伎町の女王」(1998年)〈創英ペン字体〉

 それが世に出たシングルCDの歌詞は、ちょっと意外な書体でかかれていた。
 手書きの暑中見舞いを思わせる、おどろくほど細い、湿っぽい文字。
 華やかな夜の蝶というより、蚊の羽音みたい。縦書きなのが妙に古風である。

 この書体は〈創英ペン字体〉という。
 名前を知って、すぐにぴんときたのは、私が普段はWindowsユーザーだからかもしれない。
パソコンの画面でフォントリストを表示すると、〈MS明朝〉や〈メイリオ〉にまじって〈創英角ゴシック体〉や〈創英角ポップ体〉が目に入る。
 ビジネス文書にはよく使われるのだが、雑誌や書籍のような商業印刷物では見覚えがない。モリサワやフォントワークス、アドビ、大日本スクリーンなどのMac系フォントを使うエディトリアルデザイナーにとっては、正直に言って、鼻にもかけない存在ではないだろうか。
 どことなく、しろうとっぽい。
 そんな印象をもっていて、「創英」が何を指しているのかについてさえ、今まで考えたことがなかった。

 由来を調べてみると、80年代から独自のフォントを制作していた会社「創英企画」のことだとわかった。
「創英」の名を冠した書体のシリーズは、当初、ワープロや、ハガキの宛名印刷ソフトのようなアプリケーション用に作られたものだという。それがパソコンの普及とともにMicrosoft Officeへ提供された。
 その後、会社自体はなくなり、現在ではOA機器メーカーのリコーが書体の字母権利を所有している。
「創英」という名前だけが、唯一の名残として残ったというわけだ。

 かつて「歌舞伎町の女王」を友達とカラオケで熱唱することが楽しい女子高生だったころは、刹那的ではあるけれど強い女性の歌だと思っていた。
 それから二十年以上経った今、歌詞を読み直してみて、〈創英ペン字体〉の印象であるしろうとっぽさ、それこそが、この作品の生々しい背景を形作っていることに気づく。
 暑中見舞いのような字を書く、早熟な女の子。
 まだ女王になる前の、持たざる者の歌だったのだ、と。

「歌舞伎町の女王」がリリースされた1998年は、史上最もCDが売れた年だという。
 小沢健二がメディアから去り、宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、aikoがデビューしたその年、渋谷系ならぬ「新宿系」を名乗って登場した椎名林檎は、いわゆるJ-POPの歌姫たちとは一線を画する存在だった。
 引き裂かれるような歌声と、強烈なメロディー。
 白目をむいてギターをかき鳴らし、独特の巻き舌で猥雑な言葉を叫ぶ、アングラな雰囲気。
その歌詞は、自分とそれほど年齢の違わない十代の(しかも同じ福岡県出身の)歌手が書いたとは思えないような官能と叙情性に満ちていた。
 そう感じたのは、若者らしからぬ独特の言語感覚も理由のひとつだったと思う。
 椎名林檎の歌詞には旧字体や旧仮名遣いが多く見られる。
一見では読みづらい漢字とカタカナの組み合わせが特徴的で、別の時代にタイムスリップしたような違和感を覚える。
 不思議なことだ。
 歌は耳で聞くものであるのに、なぜ、文字表記にこだわるのだろう。

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椎名林檎「ここでキスして。」(1999年)〈本明朝〉

 旧字体・旧仮名が多く使われていたのは、戦後しばらくの間までだ。
懐古趣味とも思える時代がかった歌詞を目の前にして、現代のデザイナーはどんな書体を選ぶべきか。
 その答えを探すことは、今よりもデジタルフォントの種類がずっと少なかった90年代当時、至難の業だったにちがいない。
 単純に考えれば、イメージにあいそうなのは、実際に旧字体・旧仮名遣いで印刷された文字、つまり活版印刷で組まれた活字だろう。たとえば、このようなオールドスタイルの古い活字書体である。

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樋口一葉「にごりえ」春陽堂文庫(一葉全集一 小説集一 1933年)

 しかし当然ながら、CDの歌詞カードを、現世に存在しない活字で印刷することは不可能だ。
 だからこそ、様々なかたちで綴られた椎名林檎の歌詞には、日本的な情緒やノスタルジーという普遍的なモチーフに対して、書体がどのように向き合ってきたかというデジタルフォントの歴史を垣間見ることができる。

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椎名林檎「幸福論」(1998年)〈DF中太楷書体〉

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(画像5)椎名林檎「意識 〜戦後最大級ノ暴風雨圏内歌唱〜」(シングル「茎(STEM)〜大名遊ビ編〜」 2003年)〈MS明朝〉

 世間の認知度を高めた「ここでキスして。」や、ナース服のコスプレが話題になった「本能」に使われているのは、〈本明朝〉〈見出ミンMA1〉など、写植からデジタルに「移植」された明朝体だ。
 同時に、それらとはまったく系統が異なるフォントも積極的に使用されている。
 たとえばメジャーデビュー作「幸福論」のシングルCDは、もともとは創英企画と同様にワープロ用の書体を開発していたダイナコムウェアの楷書体だし、2003年に発表された『茎』では、Office付属の〈MS明朝〉に加工を施して、経年した書物のような風合いを表現している。
 同年のサードアルバム『加爾基 精液 栗ノ花』の、化け猫っぽい不穏な空気の漂う書体は何だろうと思ったら、リコー製品の〈HG高橋隷書体〉で驚いた。これも実は年賀状作成ソフトに入っているような一般ユーザー向けのフォントだ。

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椎名林檎「ドッペルゲンガー」(アルバム『加爾基 精液 栗ノ花』 2003年)〈HG高橋隷書体〉

 それは、印刷で使える日本語フォントが少なかった端境期の、腐心のあとを見るようで、しかしそこにある書体がちゃんと選ばれた証だとも思う。
 逆に言えば、デザイナーがアーティストを外側から俯瞰で眺めたとき、そうせずにはいられない何かがあるということ。
 だって、もしもaikoの「カブトムシ」の歌詞が「歌舞伎町の女王」と同じ書体でかかれていたら、絶対こわい(想像したら、か細い文字の線がきゅうに昆虫の足に見えてきた)。
 一度くっついたが最後、離れたくないと願う恋心にはらむ危うさを、〈中ゴシック〉のポップス性がうまく中和している。

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aiko「カブトムシ」(1999年)〈中ゴシック〉

 デジタルフォントの目覚ましい進出は「不在証明」である。失われた文字への憧憬は、このころ、たぶん、すでにはじまっていたのではないか。
こんな例がある。

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宇多田ヒカル『DEEP RIVER』(2002年)〈秀英明朝〉

 宇多田ヒカルが2002年に出したアルバム『DEEP RIVER』の歌詞には、本物の活字が使われている。
 それは大日本印刷が所有する〈秀英体〉で、芥川賞のような文芸作品に数多く使われてきた、明朝活字を代表する書体だ。
 この歌詞カードの場合は、活字で歌詞を組み、活版で印刷した清刷をスキャンし、パソコンに取り込んでデザインしたのだろう。
 というのも、大量生産と効率性が求められる商業印刷の分野において、活字活版印刷は消えゆく運命だった。
 CDに封入される「歌詞カード」といっても、つまり発売と同時に200万部以上を記録した印刷物である。わざわざ活字を使うなんて、贅沢の極み。いや、むしろ大ヒットの確信を得ていたからこそ、それだけのコストをかけることができたのだろうか。
 いずれにせよ、あえて「活字」が選ばれたことと、このアルバムが戦後文学を代表する作家、遠藤周作の同名小説にインスピレーションをうけて作られた作品であることは、きっと無関係ではない。
 同じ時代を生きた書体を使って、引用にリスペクトをあらわそうとしたのではないだろうか。

 アルバムがリリースされた翌年の2003年、大日本印刷はついに活版印刷部門を終了した。
 ひとつの時代が終わり、活字や写植と入れ替わるようにして、デジタルフォントの拡充が急激に進み始める。
 その変化は、三つの「丸の内サディスティック」――1999年の「無罪モラトリアム」と、十年を経て発表された2009年のアルバム「三文ゴシップ」、そして2019年発売のベストアルバム「ニュートンの林檎」に再収録されたバージョンを比較するとわかりやすい。
『無罪モラトリアム』の〈太ミンA101〉(モリサワ)は、日本語DTPの初期を支えた基本書体のひとつ。
『三文ゴシップ』の〈秀英五号〉は、宇多田ヒカルのアルバムに使われている戦後生まれの秀英体よりさらに古い、昭和初期に作られた活字をデジタルフォント化したものだ。
 漢字の部分が別の書体なのは、漢字も含めて復刻されるケースは少なく、ひらがなしかないからだが、他の明朝体フォントではなくゴシック体と組み合わせているところに昭和のサブカルチャーの雰囲気を感じる。マンガの写植文化で培われた手法でもある。
 大日本印刷では2005年から〈秀英体〉をデジタル時代に残すためのリニューアルプロジェクト「平成の大改刻」が始まり、7年をかけて10書体12万字の開発が行われた。その結果、『ニュートンの林檎』では、『DEEP RIVER』と同じ活字をもとにしたデジタルフォントを使えるようになった。

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椎名林檎「丸の内サディスティック」(アルバム『無罪モラトリアム』 1999年)〈太ミンA101〉

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椎名林檎「丸ノ内サディスティック(EXPO Ver.)」(アルバム『三文ゴシップ』 2009年)〈秀英五号〉

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椎名林檎「丸の内サディスティック」(アルバム『ニュートンの林檎〜初めてのベスト盤〜』 2019年)〈秀英細明朝〉

 さらに2010年代になると、過去の活字書体の復刻にとどまらない、「ネオ活字」ともいうべき新しいデジタルフォントが次々に誕生した。
 明治期の活字をもとにしてつくられた〈たおやめ〉、活字の「インクだまり」のような独特の風合いをもち、そこにあるだけで映画のような風景を感じさせる〈筑紫オールド明朝〉、フリーフォントでありながらヴィンテージ感のあるレトロな雰囲気で流行した〈はんなり明朝〉。
 椎名林檎の歌詞には、そのいずれもが、等しく、美しく使用されている。
 むしろ本物の活字よりも、よく似合っている、と思う。

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椎名林檎「いろはにほへと」(2013年)〈たおやめ〉

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椎名林檎「NIPPON」(2014年)〈筑紫オールドA明朝〉

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椎名林檎「至上の人生」(2015年)〈はんなり明朝〉

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(画像15)椎名林檎「目抜き通り」(アルバム『三毒史』 2019年)〈秀英細明朝〉

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Profile

正木香子(まさき・きょうこ)

文筆家。1981年、福岡県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。幼いころから活字や写植の書体に魅せられ、〈滋味豊かな書体〉をテーマに各紙誌にエッセイを発表している。 著書に『文字の食卓』『文字と楽園──精興社書体であじわう現代文学』(以上、本の雑誌社)、『本を読む人のための書体入門』(星海社新書)。type.centerでコラム「その字にさせてよ」連載中。