曇り空の音楽 アビー・ロードは晴れているか 吉田篤弘 atsuhiro yoshida

5 …… 密造酒の甘い香り

 さまざまな国の若者たちが行き交う路地裏の一角で、驚くべきことに、「肋骨レコード」を集めた展覧会が開かれているというので、半信半疑で観に行ってみた。
 使用済みのレントゲン写真をレコード盤に見立て、一枚一枚、単独に音溝をカッティングしている。そんなレコードが存在していたのを知ったのは二年前のことで、『X-Ray Audio: The Strange Story of Soviet Music on the Bone』という洋書をたまたま手に入れ、遠い世界の風変わりな物語のように楽しんでいた。
 まさか、その現物を間近に見ることが出来ようとは思いもよらない。しかも、そのギャラリーがある場所が原宿の「キディランド」や「オリエンタルバザー」のすぐ裏手に位置するというのも、奇妙な物語の延長に思えた。
 展覧会の名は「BONE MUSIC展」といって、レコード盤に見立てたレントゲン写真には、そのほとんどに透視された人間の骨が映されているのだから、そう呼ばれてしかるべきではある。
 ではあるのだが、それらの非合法なブツが1940年代から1960年代初頭にわたるソ連の地下市場で作られていたことを考えると、秘匿されたものを暴いてみせるレントゲン写真というものが、そのときの国家と時代と制度、そして、それらに対する反逆の象徴に見えてくる。
 と同時に、そもそも「BONE」=「骨」は遠い国のファンタジーの中に埋め込まれているだけではなく、われわれの誰もが隠し持っているブツであり、隠されたものを透視することは、何も特殊な状況下に置かれていなくても、充分にスリリングな経験である。
 興味深いが恐ろしくもあり、その奇怪なレコード群はビザールでありながらどこかスタイリッシュでもあった。なにより、いかにも秘密めいている。
 今回の展示は、会場に選ばれたギャラリーが、二階建ての黒い箱のようであったのもふさわしく、中は程よく照明が落としてあり、壁に並んだブツは、透過光によって、まさにレントゲン写真さながらに浮かび上がっていた。
 三十センチの至近距離で目にすると、写真集では伝わってこなかったディテールが確認でき、どの段階でそうしたのか不明ではあるが、円盤状のレコードに似せるため、かなり手荒くレントゲン写真を丸く切り出していた。どちらかと云うと、悪い意味でハンドメイドな仕上がりなのだが、展示用にセレクトされたものであるとはいえ、それぞれの「BONE」の形状は誰の目にも鮮烈に映るものだった。まったくもって、興味深くも恐ろしいブツである。
 何か非常によろしくないものが、秘密の音盤に記録してあり、その面構えを見る限り、その「よろしくないもの」の凄みが、見るほどに増幅していくように思える。
 が、今回の展示はコンパクトでありながらも至れり尽くせりで、会場には、それらの音盤から採録した音源が、これまた程よい音量で流れていた。
 たまたま耳にしたのは50年代のエルヴィス・プレスリーだったのだが、その音は、骨を暴くようにして強面の盤をトレースした、というイメージに反し、あたかも電波によるアナログなラジオ放送を受信しているようで、ノイズまじりでありながらもじつに耳に優しかった。端的に云えば、チープな音であり、もとになった音源の質を知っていたら、「おもちゃのような音」とでも云うしかない。
 ただ、「そのチープさがまたいいのだ」と云い張りたくなるミリキがそこにはあった。
 もうひとつ、端的に申し上げれば、それらのレコードはその内容にかかわらず、すべて海賊盤──ブートレグである。法律上、「よろしくないもの」であり、大っぴらに販売してはいけないことになっているものである。
 だからこそ、そこには唯一無二の味わいがあり、チープではあるとしても、長らく箱の中に封じられていた、とっておきのものでもあった。


 初めて海賊盤を買ったのは十一歳のときで、初めてLPレコードを買ったのも十一歳のときだった。つまり、買っていいレコードと、買ってはいけないレコード──正確には「売ってはいけないレコード」と云うべきか──を、ほとんど同時に手に入れていたのだ。
 下北沢の、いまはユニクロが入っているビルがあるところに、その昔、〈忠実屋〉という大型スーパーが建っていて、十一歳のぼくは、その二階の売場──売場のはずれの階段に面したバーゲンセールのコーナーで、段ボール箱に入れられた大量のレコードの山を発見したのだった。まるで、誰かが置き忘れていったようにくたびれた段ボール箱が二十箱ほど並び、どの箱にも、シールドされたレコード盤がぎっしり詰まっていた。
 いま思うと、それらはすべて海賊盤で、これはあくまで「いま思うと」であり、当時は当然ながら海賊盤の存在を知らない。
 さらに「いま思うと」、どうして、売ってはいけないレコードが、スーパー・マーケットの片隅で堂々と売られていたのか分からない。とにかく、そこで売られていたレコードの中に、見たことのないビートルズのLPが何枚もあるのに衝撃を受けた。
 これはいったい何だろう。
 どの盤にも「500」とプリントされた小さなシールが貼られていて、それがそのレコードの値段であり、五百円は当時のシングル盤の値段であった。つまり、LPレコードとしては格安で、十一歳ではあったけれど、支払うのが五百円であれば──つまり一枚だけであれば──自分のお金で買うことができた。
 それにしても、その奇妙なレコードが何なのか分からない。そのころのバイブルであった『THE BEATLES FOREVER』にも、それらのレコードに関する記載はなかった。

『THE BEATLES FOREVER』は1972年に発行された非売品の小冊子で、デビュー十周年を記念し、ビートルズのレコードを日本で発売していた東芝音楽工業がつくったものである。全64ページ。どこかのレコード屋で貰った特典グッズの類なのだが、これがいま見ても、素晴らしく出来がいい。
 横尾忠則の手書きエッセイが折り込み付録になっているのも洒落ているし、その時点で発売されていた四人のメンバーのソロを含むすべてのアルバムの曲目表と簡単なレビュー及びジャケット写真といったものが網羅されている。さらには、著名人のエッセイ、訳詞、年表といったものが過不足なく配され、そのうえ、全曲リストまで掲載されているのだ。十歳でビートルズに目覚めた初心者にとって、まさにうってつけの一冊であり、この64ページの小冊子こそ、ぼくがこれまでのところ、最も繰り返しページをめくった本であると断言していい。
 しかし、〈忠実屋〉の二階で売られていたレコードは、その64ページの、どこにも載っていないものだった。
 段ボール箱の中をひととおり確認し終えると、十種類ほどの知らないビートルズのLPがあり、ジャケットはいずれも白のそっけないボール紙でつくられ、そこへ赤や青の単色で刷られた薄紙一枚が添えられている。一応、シュリンクでシールドされているが、シュリンクを取り去ってしまうと、薄紙はジャケットに糊付けされていないので別れ別れになる。なんとも、チープというか簡素なつくりで、薄紙に印刷されているのは、粗悪なコピー機で複写したような写真と稚拙な文字やフォントによるタイトルや曲目表示だった。
 それは、十一歳の目に異様に妖しく映った。いま見ても、そのころのブートレグは、駄菓子屋で売られていた怪しい玩具や菓子と同じ匂いがしている。
 悩んだ末に十種類の中から「The Beatles Studio Sessions Volume one」という一枚を選んだ。当時住んでいたアパートまで、〈忠実屋〉から歩いて十五分ほどかかったが、そのあいだずっと足もとが覚束なかった。得体の知れない秘密に触れ、その秘密の一端を手に入れて胸に抱えている。粗悪なボール紙と、粗悪な薄紙と、粗悪なビニールで出来た、ほとんど何の取り柄もない物体なのだが、またとない「獲物」を手に入れた高揚感があった。

 父も母も働きに出ていたので、家には誰もいない。レコード・プレイヤーの電源をオンにし、買ってきたばかりの謎のレコードのシールドを破って、ジャケットからレコード盤を取り出した。外観もさることながら、レーベルもまたチープで、どちらの面にもタイプライターで打ったと思われる文字が雑多に並んでいた。なぜか、「The Beatles」の表記がなく、代わりに「JOHN, PAUL, GEORGE & RINGO」とあって、それぞれの面に「A」「B」と打ってある。
 面白いことに、そうした文字表記の他に小さなレコード盤のイラストがあしらわれ、そのレーベル部分に「Contra Band」というレーベル名と頭蓋骨の絵が描かれていた。無論、偶然なのだが、この初めて手に入れた海賊盤には、「BONE」のアイコンが継承されていたわけである。
 針を落として聴いてみる──。
 いきなり、盛大にスクラッチ・ノイズが鳴り、ノイズの向こうから音楽が聞こえてきた。
 後々、解明したところによると、このレコードに収録されていた音源は、ビートルズがラジオ番組で演奏したものを集めたもので、その音像は、それこそ遠い国からかろうじて届いた電波を通して聴いているような──「聴く」というより「受信」といった方がより正しい、スリリングで危うい音だった。


 たしか住所は代々木だったろうか。記憶はとても淡い。夢だったのでは、と指摘されたら、しばし視線がさまよう。けれども、その狭い店内に充ちていた甘いビニールの匂いが、いまでも周囲にたちこめるようによみがえる。
 アパートの一室だった。一階だったが、高台に建っていたので、窓を覆うレースのカーテン越しに小田急線が行き交っているのが見えた。道一本を隔てただけの線路際であったようにも思うし、小田急線の車体が遠目に見えたようにも思い出される。
 レコード屋にはときに甘い匂いが漂っていて、「ビニールの」と書いたが、それはレコード盤そのものが発しているのか、それとも、レコードを入れた外袋のビニールが匂うのかどちらとも知れない。窓の外は曇り空で、そうでなくても、部屋の中はやけに薄暗かった。
 「ブートレグ」の語源は密造酒に由来し、いまでもときどき見かけるが、尻ポケットに忍ばせるための湾曲を帯びた薄い水筒がある。スキットルが正しい呼び名で、そいつに密造酒を入れて、長靴すなわちブーツの中へ隠して運んだことから、この隠語がつくられた。
 いつだったか、中世の修道院を舞台にした長い映画を観たことがある。ストーリーはいっさい記憶になく、ただ、主人公が蔵の奥に秘蔵された葡萄酒を見出す場面が、むかし見た夢のように思い出される。映画なのだから本当のところは分からないが、スクリーンから客席へ葡萄酒の甘い香りが漂ってくるようだった。
 いずれにしても、その甘い匂いのする一室こそ、はじめて訪ねた海賊盤の専門店で、その店で買ったブートレグもよく覚えている。これはいまも手もとにあり、「Have You Heard The Word」というタイトルで、〈忠実屋〉で買った最初の一枚と同じく、白いジャケットに単色で刷られた薄紙が添えてあるだけのものだった。タイトルにもなっている「Have You Heard The Word」という曲がA面の一曲目に置かれ、手に入れた当時は、これこそ正真正銘、ビートルズの未発表曲であると信じられていた。
 というのも、一聴して、そのボーカルがジョン・レノンのものであると誰もが思うし、音楽的にも、ビートルズのラフなセッションとして違和感のない仕上がりになっている。遂には、この音源を聴いたオノ・ヨーコが、ジョン・レノンの楽曲として著作権登録をしようとしたという噂が広まり、いよいよ未発表曲としての信憑性が高まっていた。
 ところが、そうではなかったのである。
 21世紀になってまだ間もないころ、インターネットを通じて海外のレコード・ショップから60年代のシングル盤を大量に購入していた時期があった。そのとき、とあるイギリスのレコード・ディーラーから、「めずらしいシングル盤が手に入ったので買わないか」とオファーのメールが届いた。滅多に出てこない一枚で、A面のタイトルが「Have You Heard The Word」だという。「ビートルズの未発表曲といわれているレコードだ」と書き添えてあった。さらには、「あなたが買わないのなら、他の客にオファーします」といった意味の脅し文句が記してあり、よく分からないけれど、これはなかなかの逸品ではないかと直感して、値段も妥当だったのでオーダーしてみた。
 それから三週間ほどして無事にレコードは届き、荷をほどいて確認すると、レーベルの名はBeaconとあり、イギリス盤らしいしっかりとしたつくりのものだった。手で触れて仔細に観察し、経験的に、これはブートレグではないとまずは安心した。あるいは、限りなくインディーズに近いリリースではあったかもしれないが、正規に発売されたレコードであり、レーベルにはBEA160というカタログナンバーのほか、「1970」とリリースされた年が明記されて、原盤権を意味するマルPマークも付いていた。
 が、肝心のアーティスト名はTHE FUTと綴られ、作曲者もアレンジもプロデュースもすべてTHE FUTとなっていた。演奏者が覆面バンドであるときにそうした表記になることが多く、となると、やはりこれは解散間際のビートルズもしくはジョン・レノンが戯れにつくったものではないのかと、にわかに浮き足立った。
 で、レコードに針を落として、興味深い事実に気がついた。
 出てきた音はこれまで海賊盤で聴いてきた音源と同一のものである。が、なにしろ愛聴してきたのは海賊盤なので、音のディテールがつぶれて不明瞭なところが多々あった。しかし、THE FUTのこのシングル盤は、どうやら海賊盤にコピーされたオリジナルであり、格段に音が明快で、なおかつ決定的な違いがあった。
 海賊盤で聴いてきたものは長さが3分弱だったのだが、このシングル盤は4分30秒あり、これまで聴いてきたものより1分30秒も長い。というのも、オリジナルは曲が始まって2分くらいのところで、かなり大胆な展開となり、それまで気だるいスローな曲調であったのに、突然、テンポアップして軽快な曲に変化していた。それが45秒ほどつづいて、再び何ごともなかったかのように元のレイジーな曲調に戻る。
 この初めて聴いた45秒があきらかにビートルズでもジョン・レノンでもなかった。同じボーカリストが歌っているのは間違いないのだが、最初の2分間にあったジョン・レノンに酷似した声質が別人のものになってしまうのだ。
 そればかりか、そうしてクリアな音質で通して聴いてみると、最初の2分間も海賊盤で聴いていたときの、「これは間違いなくジョンの声である」という確信が揺らいでくる。
 海賊盤が巧みだったのは、この45秒間をそっくりカットしてあったことで、そのうえ、コピーされた音が劣化して明確に聴きとれなかったゆえ、多くのリスナーが──オノ・ヨーコまでもを含めて?──ビートルズによる録音であると信じてしまったのである。
 いまはもう、このTHE FUTなる覆面バンドの正体は明かされていて、この録音のあとにTIN TINというデュオを組むことになるSteve KipnerとSteve Grovesの二人を中心としたセッションであったと分かっている。この二人組のプロデューサーであったビー・ジーズのモーリス・ギブが泥酔した状態でセッションに参加し、いつもと違う声色で──多分にビートルズを意識して──歌ったものであると、当事者の一人であるSteve Kipnerがインタビューで答えている。音源もCD化され、一時は存在すら疑われていたオリジナル・バージョンを手軽に聴けるようになった。


 かように海賊盤というものは曲者であり、「Have You Heard The Word」の場合は、ニセモノを皿に載せて客を騙したわけである。
 ただ、この「Have You Heard The Word」なる曲は、なかなかいい曲で、何であれ、ビートルズではないかと騒がれたのだから、それなりのものではある。では、この曲を書いたSteve Kipnerという人は何者であろうか、と新たな探索が始まり、正体が知れたら知れたで、しばらくのあいだ、Steve Kipnerが参加したレコードを探し出しては聴いていた。先に書いたTIN TINがリリースした二枚のLPも好感が持てるいいレコードだし、1979年のソロアルバムはジェイ・グレイドンのプロデュースで、楽曲の良さが印象に残る。
 ニセモノ、フェイク、パロディ、オマージュ、と呼び方はさまざまだが、ビートルズを模倣したり、物真似が嵩じて完全になりきってしまったコピーバンドは世界中に数知れず、あれもこれもと挙げていったらきりがない。
 そんな中、特に忘れられないのは、Klaatuというバンドの「Sub-Rosa Subway」という曲で、FMラジオから不意に流れてきたのを聴いたとき、ニセモノだと分かっているけれど、思わず顔がほころんでしまう愉しさがあった。と同時に、その曲を聴くうち、模倣のコツとでも云うべきものが掴めたような気になり、そのあたりから自分にも曲が作れるのではないか──というか、自分でビートルズのような曲を作ってみるという、思いがけない新しい愉しみを、その曲を聴いたときに思いついたのだった。
 それまでは、ガットギターを片手に、ひたすら『The Beatles 80』という赤い表紙の楽譜集のページをめくっては、コードを覚えながらギターと歌をコピーしていた。自分で作ってみようとは一度も思わなかった。思いつきもしなかった。
 それが一転、まったくのデタラメではあるけれど、覚えたてのコードを組み合わせて、それっぽいメロディーを口ずさむことを始めていた。その発端が、本物を聴き込んだことで衝動に駆られたのではなく、ニセモノに触発されて目覚めたというのが、なんだか、おかしくも物哀しい。

 ニセモノには本物がディフォルメされた状態で宿っていて、どうすればそれらしくなるのか、本物を聴いているときより、本質が分かりやすい。そして、おそらくこのとき自分は、真似ることから創ることへシフトするジャンプの心得のようなものを自然と学びとっていたのだと思う。これは音楽に限ったことではなく、およそあらゆるジャンルに通じているはずで、何ごとにせよ、道の始まりは真似することから始まるのだと、ニセモノの先達に教えられたのだった。


 この話にはさらにつづきがあって、ここから先は、言葉で説くことが出来るかどうか分からない。
 おそらく、模倣という言葉の延長にあるものなのだが、あるいは、模倣という言葉をもう少しマイルドに置き換えて、「影響」という言葉を持ち出してくれば、それでいいのかもしれない。
 結論から云ってしまうと、音楽ではないものにビートルズの音楽を感じるときがある。
 映画を観ているとき、写真、絵画、演劇、書物──場合によっては店や場所に感じるときもあるし、親しい知人や服や物にさえ、ビートルズ的なものを見出すときがある。
 いや、そのあたりまではまだいい。さらにその先へ及ぶと、時間、空気、香り、湿度といったものまでもが対象となり、そこにビートルズの曲が流れているわけではないのだけれど、(ああ、この曇り空の下を歩いていると、ちょうどビートルズを聴いているときの気分になるなぁ)と、つぶやきたくなるときがあるのだ。
 この情緒の正体をつきとめるには、たぶん、曇り空と音楽の関連について研究をしなくてはならない。そのためには、「曇り空とはなんぞや」という哲学めいた境地で遊ぶ必要もある。
 いや、それはただ単にお前さんが異常なほどビートルズを好きなだけだろう、と思われるかもしれない。それはまぁ、たしかにそうなのかもしれず、このわずか数十行の文章の中に何度、「ビートルズ」と繰り返し書いていることかと我ながら呆れてしまう。
 ただ、この一連の文章の表題に、こっそり「A面」の二文字を忍ばせているのは、いずれ「B面」を書く準備があるからで、そちらでは、さほどビートルズに触れることはないかもしれないと思われる。
 ついでに云うと、ぼくが「B面」の方により魅かれていることはすでに書いてきたとおりで、自分の中に響いている音楽を「A面」と「B面」に仕分けるとすれば、「B面」に真髄があることは云うまでもない。「曇り空」に託される何ごとかも、「B面」において、より明白になるのではないか──。
 けれども、「B面」で書くことになるはずのさまざまな音楽をひとつひとつ想ってみると、そこへ行き着いた道筋は、ことごとく「A面」によって定められていたのだと思い当たる。
 当然、本物があるからこそニセモノが生まれてくるわけで、しかし、いつでもニセモノこそが本物の何たるかを見抜いているふしがあるのだ。「A面」が素晴らしいから、「B面」を愛でる思いが立ち上がってくるのだし、「A面」の存在を追いやって、「B面」だけに傾倒することはできないとハナから分かっている。
 あくまで、「A」と「B」をひっくり返しながら楽しんでいくことに、音楽の──あるいは日常生活を繰り返していくことの──醍醐味がある。
 やや強引に、「曇り空」という言葉になぞって云えば、「A面」が太陽で、「B面」が曇り空というふうにも考えられ、ときに「A面」は雲に覆われるときがあり、一方、「B面」に、ほんのりと陽の光が兆してくるときもある。
 ぼくは音楽と生活とを、いつもそういうふうに捉えていて、その起源となる時間が、ビートルズを熱心に聴いた十一歳のときに始まっていたのだと、この文章を書きながら確信している。
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Profile

吉田篤弘(よしだあつひろ)

作家。1962年、東京都生まれ。
少年時代からレコードを買い集め、小説家としてのデビュー作『フィンガーボウルの話のつづき』では、ビートルズのホワイト・アルバムを題材にしている。主な著書に『つむじ風食堂の夜』『それからはスープのことばかり考えて暮らした』『神様のいる街』『あること、ないこと』『おやすみ、東京』『おるもすと』などがある。