第15回 チベットに夢見る人々

◆ダライ・ラマ法王の思い出

 チベットという単語を聞くとテンションが上がります。高校時代に中沢新一先生の『虹の階梯(かいてい)』(ラマ・ケツン・サンポとの共著)を読んでから、チベット密教に憧れ、ダライ・ラマ法王が自分にとってのスターでした(今ではヒマラヤ聖者推しですが......)。はじめてダライ・ラマ法王の来日イベントに2003年に伺ってから、たまに来日講演会に参じております。低く響く声や自然体でチャーミングなお姿、どんな科学者とも対話できる頭の良さなどに魅力を感じています。観音菩薩の生まれ変わりというのも壮大なロマンで人智を超えており、聖者フェロモン的な何かが漂っているようです。半分肩を出されているからでしょうか、女性ファンも多いようです。そんなダライ・ラマ法王の過去に講演会で見た思い出深いシーンを挙げてみます。
 2003年の講演会では、午前の部が終了したところで、後方の席から白ずくめの装束の女子3人が花束を掲げて法王猊下(げいか)の方に近づいていきました。SPに阻止されていましたが、法王を神格化し崇めているのが伝わってきました。ダライ・ラマ法王ご自身は「私はヒーリングパワーも持っていない、皆さんと同じたった一人の人間です」と謙遜していましたが......。声のバイブレーションにすでに癒しの力があるような気がします。
 2006年の講演会では、畏れ多くも猊下に萌えそうになりました。通訳さんが訳す間、法王は無邪気な様子でマイクにいたずらしたり、帽子を着脱したり、客席に笑顔で手を振られたりと少年のようで、客席からは「かわいい」「お茶目だね」という声が。仏の化身にそんなご感想を言ってカルマ的に大丈夫でしょうか? 法王にハマりだすと、一般男に対しては霊的にもスペック的にも物足りなくなってしまうので危険です。法王はさり気なくロレックスの腕時計をつけこなしていたりしておしゃれ菩薩です。「私に不思議な奇跡を起こす力を期待しないでください。一人の人間として話をするために来ました」と講演中におっしゃっていたのですが、この日の質疑応答では、法王に超能力を求める人々からの珍質問が続出。「私は何者かに操られています。助けてください」と訴える男性や、「法王様、光のエネルギーを放ってください! 皆さんで感じましょう!」と無茶ぶりする中年女性がいました。さすがの法王も苦笑し「I don't know.」と宣われました。
 2016年の講演会では、ダライ・ラマ法王の包容力に惚れそうになりました。「慈悲を高めることの大切さ」がテーマの、波動の高い講演会。後半、勝手に写真を撮るお客さんがいたのか、写真撮影を注意するアナウンスが流れました。すると猊下は「フォト? OK、OK。ノープロブレム」と許可し、慈悲の心をお見せに。後半はシャッター音が鳴り響き、拡散されてゆきました。SNS時代に則したご判断に感じ入りました。まさに神判断です。
 
チベット好きが集まるディープなイベントへ......
 
 先日、ダライ・ラマ法王の来日イベントではないですが、有楽町の相田みつを美術館で「チベット・フェスティバル」が開催されたので行ってまいりました(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所主催)。GWの9日間にわたって、砂曼荼羅制作や声明、瞑想、説法や仮面舞踊、占いなどが行われる素晴らしいイベントで、通し券1万3000円というのは魅力的ですが、買ったらGW中どこにも行かないで通ってしまいそうだったので、2000円の一日券で伺いました。
 砂曼荼羅の部屋に入ると、僧侶が4、5名、粛々と砂曼荼羅を制作されていました。五色をベースにした極彩色の、日本人の感覚にはない色合いが目を引きます。極楽はこんな色の世界なのでしょうか。筒の先端から、微細な振動で砂を出すシャカシャカいう音が響いています。腰を折り曲げた姿勢は体に負担がかかりそうです。「集中力えげつなくない?」若い女子が話すのが聞こえてきました。「ギャラいくらなんだろうね。4万じゃすまないよね。40万?」そんな下世話な推測が。神仏に捧げる行為なのでたぶん無償だと思われます。絵が得意な人は線を描き、苦手な人は塗るという漫画家とアシスタントのような分業が行われているようでした。素人目には皆すごい技術に見えますが......。
 この日は、セラ寺の高僧の法話を拝聴することができました。「苦しみや問題は無明より起こってきます。業と煩悩によって、過去から起こってきます。前世の悪い習慣が生を受けてさらに悪くなっていく。悪い習慣が心に種をまき、それが実って苦しみになります」厳しくも真理を突いたお言葉。「釈尊は三昧(宗教的な瞑想)だけでは解脱を得られないと知り、さらに瞑想の修行を重ね、6年苦行したあと、三昧と菩提心が必要だと気付かれました。空性を悟る知恵が必要です。釈尊は菩提樹の下で瞑想され仏陀の境地に至りました。......」波動が高すぎるお話で浄化され、異様な眠気が......。「私たちが知覚を持つときの5つの対象があります(色、音、香、味、触)。5種類とも、心に留めておくための箱のような知覚があります。5種類の知覚は5つの知恵につながっています。鏡のような知恵、見たものをそのまま取っておく知恵です。鏡のような知恵にうつったものを見て分別する作用をする知恵もあります。行為を達成する知恵もあります」高度すぎる内容です。でも不思議と、会場にいる時は、場のバイブレーションのせいか理解できている感じがしました。あとから読むと難解でわからないのですが......。こんな難しい概念のチベット語を即訳することができる通訳さんを尊敬。「25種類の荒い意識を自在に操れないと瞑想は難しいです。そのため脈管を使います。眠る時は五感と関係した荒い意識が止まっていきます。体の中に遍満する気があるので眠っても死ぬことはありません」そして、法話は、死ぬ時の感覚にまで及びました。「私たちが死ぬ時も意識が微細になってだんだん弱くなっていきます。目が弱くなる。鏡の知恵が弱くなる。形ある対象を知覚するものが弱くなる。その時、遠くに水のようなものがぼやーっと浮かんでいるような現れがあります。地と天の間の蜃気楼のようなもの。この逃げ水を『水としてとらえる現れ』と呼びます。続いて、耳などの感覚器官がおとろえてきます。灯明が闇の中で燃えているような現れがあります。次に、ホタルが飛んでいくような現れがあります。それから、火花が散っているような現れ。灰の中の燃え残りをかき回した時、燃え上がるような現れがあります。荒いものが全てなくなった時、お医者様は『亡くなりました、と言います」チベットの高僧からリアル「チベット死者の書」を聞けたようで感無量です。そして死んだ後に見えるビジョンがいかにもという感じで怖いです。逃げ水とか灯明とか、暗闇の中で見せられて逃げ場がないなんて、どんなお化け屋敷よりも恐怖度が高いです。
 質疑応答タイムでは、まじめそうな女性が「死んでから次に生まれ変わる時、自分の意識はどこまで続きますか? 次の生まれ変わりを自分で選べますか」という質問をしていました。そういえばぜひチベット僧侶に聞いてみたい良い質問です。高僧のお答えは、「死ぬと荒い意識は弱まっている。今、私たちが感じている知覚は眠っているような状態になります。知覚というものは知覚の種子を意識に残します。意識が残るかどうかはその人によります。また、来世は自在になることではありません。行為の結果で変わってきます。美醜や貧富、その人自身の業で変わってくるので、自由にはなりません。iPhoneは同じバージョンだと同じ性能ですが、人の場合は、以前積んだ業によって姿形、知能、お金持ちかどうかなど結果が違ってきます」
 スマホまで喩えに出されてわかりやすいです。でも、おっしゃっていることはシビアな業(カルマ)の法則。世界の王族とかは、美男美女でさぞ素晴らしいカルマを積んで来られたのでしょう。でもこうやって快適な会場でチベット僧侶の教えを受けられる日本人も、悪くないカルマな気がします。
 会場に置いてあったチベット仏教普及協会のパンフを見たら、講座名が「菩提道次第(ラムリム)」「前行道場―六加行法」「ツォンカパ『縁起賛』の解説」「倶舎論と大乗阿毘達磨集論」などで、ガチでした。ミーハーに、チベットの高僧ステキ~と言うくらいにしておきます。


●レベル ☆☆☆☆

●口癖 チャド・リンポチェの来日法要に行きました
リンポチェとはチベット仏教の僧の中でも位の高い特別なラマにつけられる称号。超メジャーなダライ・ラマ法王だけではなく、マイナーなリンポチェも知っているということをアピール。

●仲良くなる方法
ガチではなく敷居が低いチベット文化として、チベット体操いいよね、と美容トークなどでも盛り上がれます。古代チベットの僧侶の儀式をアレンジしたとされる、生命エネルギーを強化する若返りの体操です。

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2016年の講演 『思いやりのこころ―幸せへの鍵』の中で写真撮影を許可してくださったダライ・ラマ法王。


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砂曼荼羅制作中の僧侶たち。制作前と後は声明でお祈りを唱えて場の空気を整えます。聖域の空間です。



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